8月の定例会は「親なきあとを見据えた障害者の健康支援」と題して長崎市手をつなぐ育成会で職員研修の一環として取り入れているeラーニングの動画を2本視聴しました。国立のぞみの園研究員の方と「親なきあと相談室」を主宰され、知的障害のあるふたごのお子さんのお父さんの対談で、「親目線で感じる障がいのあるお子さんの健康面の不安」と「親なきあとの健康維持のために必要な支援とは?」というタイトルの動画を観ました。
将来グループホームや入所施設を利用するようになった場合、今まで親がしていたような健康管理を支援者に望むことはできるのか?逆に業務の効率化のため本人ができる事まで支援しすぎてしまい自立の妨げにつながる「やりすぎてしまう介助」になる懸念はないか?など親の立場と支援者側からのお話で大変興味深い内容でした。「体の不調を訴えることが難しい重度の知的障害のある人は支援する人も分かりずらさがわかりやすいが、言葉を話すことが出来る軽度の人は言葉のみをうのみにして重症になってしまう場合がある」というお話に言葉だけのコミュニケーションに頼ってしまうことへの危うさを感じました。また健康を守るためにと意思決定支援をないがしろにしていないか?という問いに、ドキッとさせられました。親としてまずは体のため、健康のためという理由で本人に説明することなく服薬や治療に臨んでなかったか、また歯磨きの仕上げ磨きの際は虫歯になっては治療が大変と必要以上に子ども扱いした対応を取ってないかなど色々考えさせられました。詳しい説明をしても分からないからしない、健康に関しての理解が出来ないから親(支援者)側が対処してあげなければならない、となりがちですが出来るだけ経験値を増やし、選択肢を増やす支援を行い本人が本人らしく生きる支援が必要というお話に親も支援者もこういった共通の認識を持つことが大事だと思いました。
以前から定例会で「親心の記録」を記入してきましたが、自分が介助できなくなる日のためにこのような支援ノート、サポートブックは健康管理の面からみても重要だと改めて感じました。障害のあるわが子のターミナルケアについても本人と話し合える場合は話し合い、話し合いが無理な場合は親の思いだけでも記入しておくことが大事だと思いました。私の場合子どもの年齢がまだ若く、あまり早急に成人病の危機に直面しているわけではありませんが、日々の積み重ねが先々の本人の健康につながっていくことも考えながら、でも日々の生活の楽しみを奪うことなくいいバランスで暮らしていけたらと感じた定例会となりました。